昨日創刊したのはいいのだけれど散々な評価を受けている(まだあまり多くを目にした訳では無いけれど確かに”これはちょっと・・・”と思う記事も幾つかは)「オーマイニュース」。 ただそんな中でも予め楽しみにしていたテキストというかコラムが1つあって、つい先ほど読んだばかり。
カフェの2軒並びにあるそのビデオ屋もまた、ローカルな人たちが利用する、ヴィレッジになくてはならない店だ。マニアックな品揃えで、インディペンデント映画や、日本・イギリス・スペインなど海外の映画を豊富に取り揃えている。 10時にシャッターを開けるヒゲのおじさんはいつも、グレーグリーンのハンチング帽をかぶっている。おじいさんと呼ぶには少し若いが、白髪まじりの髪と口ヒゲはうちのおじいちゃんになんとなく感じが似ている気がして、言葉を交わしたことはないが親しみを覚えていた。寡黙なたたずまいで、聞けば奥から映画をなんでも探し出してきてくれる。右の耳の近くに、ほくろがひとつ。 誰もが、彼はそのビデオ屋のオーナーだと思っていた。ビデオ屋のオヤジ。そう言えば皆が彼のことを思い浮かべたと思う。他の多くの利用客がそうであったように、私も彼の名を知らなかった。彼の死を知るまでは。("Dear Paul Nelson" / 坂本美雨)これを読んですぐに思い浮かべたのは、7-8年前に1-2回だけ訪れた事のある築地の魚市場から幾分離れた公園の脇にあった小さな小さなオールディーズバーの事だった。 「オールディーズバー」とか言うとすごく格好いい店構えを想像してしまうのだけれど、中に人気がなければ現在使われているかどうかも不安「小さな喫茶店」位の規模のお店。店内も2人がけの小さなテーブルが2つ位と小さなカウンター位の席数。 ”今は週に1回か2回か位店を開いているだけで看板等も出していないのですよ、とオーナー氏は笑って話してくれるが、50年代を中心としたオールディーズ/カントリーのレコードは大量にあって、壁面という壁面、カウンター後ろや店奥の棚から溢れ出さんばかりに飾ってあったりしまわれてあったりして、”レコード部屋”というか倉庫とお酒が飲める空間が共存した、まさに音楽好きの男性であれば夢のような空間であったことをよく覚えている。。 他人から見たら一見「寂しげな晩年」と、むしろ「老いて尚なんたら」の好例。しかし二人とも「好きなものに囲まれて悠々自適」な状態を選び取った/勝ち取った事には違いないだろうと思う。 ビデオショップで働いている時以外のPaul Nelson氏の生活がどんなものであったのだろうかと、ふと想像してみる。
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