糸井重里さんがちょっと前に「なにかが衰退していく時に、そのことを表すことばが流行ることがあって、今流行っている言葉でいえばそれは『ものづくり』だ」と書いていて、それがずっと気になっていて、少し自分の考えを書き残してみようと思いエントリーを起こしてみます。
・・・・・自分の職業も間違いなく「ものづくり」の領域だと思う。 そりゃあ「京友禅」や「箱根細工」の職人さん達と比べたら手技の部分や最終成果物の物質性からくる魅力、とかは相当弱いけれど、けどでも「紙に何かを印刷加工した」製品を主に作り出している訳で、やっぱり眼前で夢中になって手に取って見て(読んで)くれたりする人を見るのはすごく嬉しい訳で。
最近はウェブデザインも少し関わるようになっていて、それは「職業としてのウェブデザイナー」を全うしている人達から比べると到底低いレベル・・・・インフォメーションデザインの部分でもそうだし、CSSの記述を考えながらデザインを起こして最終的にデザインテンプレートを起こすところまでやるだけのスキルは無いし作業的にも追いつかない・・・・でしかないけど、ただひとつだけこれは自信がある点をあげるとすると、「ユーザーの身体的体験を想定してそこから逆算してデザインを起こせること」かな。『紙』の世界で相当鍛えられているのでそれは。 現在のPC環境の標準を基準に、この文字は、この色は、この絵は、このナビゲーションはどの位の刺激をもって伝わるのか、どのような情動を起こすのか、とか、を「自らの『ユーザ体験』」をリファレンスにしながら規定してゆける自分の中でのはっきりとした基準、は多分持っているのだろうと思う。
「情報」が「物質性・身体性」よりも優位であるような価値観が醸成されたのはいつからだろう。・・・多分分岐点は80年代半ば位に訪れていて、それを境に「情報」を消費する社会に切り替わっていったのだと思う。
「物質的豊かさ」を体現してしまったその時代に『モノやコトの本質を問い直す』行為として確かに重要だし必要だったのだと思う。しかしその後、あまりに世の中全体が「情報化」され過ぎてしまったのかな、と思う。
世界的な経済システムも多分それとシンクロしていて、実体経済とシンクロしていない経済システム(例えばサブライムローン)が発展の限界を示して・というか大きく破綻し、しかも物的資源は世界規模で見たらどう考えたって足りていない、という状況が誰が見ても露になってしまったのが2008年だったのかな、という気がしています。 物質的な豊かさはこれから減退していくことが明らかになっているのに、まだ物質的に飽和していた時代の価値基準で世の中全体がドライブしている今現在のその断層を埋めるべく「ものづくり」ということばは出てきたように思います。
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「ものづくり」の重要性を、職人的マニエリスムに簡単に帰結させてしまえる程自分は単純にはなれないけど。 でも「情報」が「実体」と完全に切り離されてしまった価値基準こそが、『ものづくり』を衰退させてしまった大きな要因ではないかと思っています・・・・・・両者は密接にシンクロしているべきなのに。
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