イビチャ・オシム(Wikipedia)
本当に、ただただ嬉しい。それだけ。これから南アフリカへ向かう日本代表は「大いなる”親父”から受けた愛と、それを越える」努力を積み重ねる道を踏み締めていくのだろうね。その分だけ「2006年代表組」には無いチームとしての強度をきっと備えながら。
ユーゴスラビア紛争終結後もわだかまりの残る旧ユーゴ構成諸国家内各民族の間で、今なおどの民族からも尊敬を集め得る人物の一人であるといわれている。これは数々の困難を乗り越えてユーゴスラビア代表に栄光をもたらした功績によるものである。
彼が代表監督に就任する直前のユーゴ代表は、チトーの逝去に伴う各民族のナショナリズムの勃興に並行するような形で、試合の開催場所によってチームの構成が大きく変わる有様だった。つまり、ベオグラードで試合をする際にはセルビア人中心の構成に、ザグレブで試合をする時はクロアチア人中心の構成にといった具合にである。こうした民族的な配慮を排除した上で、「必要ならば11人全員をコソボのアルバニア人で揃える」と言って憚らなかった。完成したチームはドラガン・ストイコビッチ、のちにスレチコ・カタネッツ、デヤン・サビチェビッチらがいた。
1990年ワールドカップ当時、各民族のスターばかりを集めた選手起用を求めるメディアに対する当てつけとして、初戦ドイツ戦で敢えてその要求通りの起用で敗戦してみせ、次の試合では本来考えるチーム編成で勝利し[2]、最終的には、準々決勝でマラドーナを擁するアルゼンチン相手に1人欠きながら120分間無失点のドローの末、PK戦で敗れた。
どんなに激しく厳しい世の中であれ、高潔で厳格な「理想主義」を体現し実現出来る人は体制を超えて人心を動かし得る。その事を人生を賭けて体現してきたのがオシムその人であり、その意志の伝播力は強く、岡田ジャパンの初勝利にも当然繋がっている。
最後の最後で「人間の意志の力」の強さを信ずる確信が持てるものとして、フットボールが好きで、またはフットボールをプレイした経験があったことをとても嬉しく思えた。運命に購い、そして勝利するだけの「人の意志の力」を実現出来るだけの人間は世界中見渡しても決して多くは無いと思う。その数少ない1人が私たちを見守ってくれている、というその事実だけでも素晴らしく喜ばしいことなのだ。welcome back!! Osim!
コメント