取り立ててお洒落というわけでも身に付けるモノにお金を多く使うという方でも無いと思うけれど、シャツだけは好きで年がら年中買っているように思う。
”被りモノ(いわゆるプルオーバーの事)”があまり似合わない、というのもあるのだけれど、奇麗なデザイン、面白い形や生地のものを見つけるとそれこそガムを買うような感覚で・・は言い過ぎにしてもCD1枚買う位の感覚でヒョイヒョイ買ってるような気がする。 流石に2万以上するものだと熟考しますが。
とにもかくにも”真新しいシャツに初めて袖を通す時”の、「きりり」とした、何か新しいことが始まるような感触が自分は好きなのだなと思う。あの、ボタン一つ一つ留めていく毎に瑞々しい新たな決意を確認していくようなあの感じが。
(”日頃ネクタイを締めない職種”なのでその辺りも影響していると思うのだけれど)
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そう言えば、昔の知り合いから聞いた笑い話(但し現実にあった話)をひとつ。
「若い頃から決して「襟のついた服」を着ようとしない、着たことが無いデザイナーがいました。
当然その人はトレーナーかセーターかTシャツか、のどれかで必ず1年中を過ごしています。
しかし(TPOを全く考えないのか)客先にまでその格好でそのまま行くので、ある日彼の上司が(業を煮やして、たしなめるように)こう言いました。
『お前もいい年だし(=責任もある立場だし)、せめて襟の付いた服を来てきてくれないか?』と。
翌日彼は普段から愛用しているトレーナーのまま出社した。ただ普段と違うのは『ボール紙を切り抜いて作った"襟"』が、ホチキスで無造作に不格好に取り付けられている」点だけを除いて。
それ以降、彼の上司は服装についての意見を一切止めた・・・・
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先週も、15年振りに”再発見”したシャツが1枚あった。
ボタンが2つ程取れていたというだけで着なくなっていただけだったので、まだまだ疲れていない。
繕ってボタンを付けて。今日来て1日を過ごした。
15年前の自分の「瑞々しいキモチ」に少しだけ出会えたような気がして、ちょっとだけ嬉しかった。少なくとも、そんな気分が1日の自分の精神を少しだけ軽やかにしてくれていたように思う。
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