まずはこの"PLANT A TREE PLANT LOVE"がどういう組織か、の説明から
人類が物質文明を追求した20世紀。科学技術の進歩とあくなき経済消費活動の代償として、人類は自然環境の破壊・汚染、そして精神的荒廃という恐ろしい現実に直面しています。 人間と自然を虚心に見つめれば、人間は自然の一部であり生かされて生きていることに気付きます。この自然の神秘に瞠目し、畏怖・畏敬の念を忘れず、21世紀を"自然との共生・親和"、"人間の精神性の復活"という新しい思想、新しい倫理と哲学の世紀にしたいものです。 言い替えれば、これまでの"物質中心主義" "経済中心主義" の時代から"精神中心主義" "生命中心主義"の時代への転換ということではないでしょうか。 人類が、このような世界観を持ち精神面で成長しないかぎり、今日の、そして将来の環境問題は解決できないでしょう。"もっと、もっと"という貪欲な世界観から、"少欲知足""理解と調和"の新しい世界観、精神面での成長が課題です。 この課題とのとり組みが、PLANT A TREE PLANT LOVEのプロジェクトであり、同時に"人間の幸せとは何だろう"という提言でもあります。 人と人、人と自然のコミュニケーション、これが私たちのキーワードです。(組織概要のページ内「私たちの理念」を引用)この"PLANT A TREE PLANT LOVE"を知るきっかけとなったのは、ある所で"PLANT A TREE PLANT LOVE"サイト内に掲載されているコラムが紹介されていたのがきっかけでした。 そのコラム・・・・国際生態学センター研究所所長の宮脇 昭氏のテキスト内に”はっ”と気付かされた一節があったのでここに引用したいと思います。
生態学的な立場でいうと自然には触れてもよいところと人間の目のようにさわってはいけない、弱い所がある。それは山のてっぺん、急斜面、水際などであるが、そこに神社やお寺をつくってこの森を切り、水源地にゴミを捨てたらばちがあたるという宗教的なたたり意識を利用して弱い自然を残してきた。 それが“鎮守の森”として現在国際生態学会、国際植生学会でも英語にもドイツ語にも訳せないそのまま学術用語となっている。今日なお日本の各地にいわゆる都市砂漠の中の緑のオアシスのようにほっこらと樹林や森が残され、そこには必ず祠やお寺や地蔵がある。 「木を植える ?21世紀の鎮守の森を目指して?」 宮脇 昭(PLANT A TREE PLANT LOVE - アカデミー)”自然には人間の目のように触れてはいけない場所がある”・・・・例として挙げられている山の頂上や水際は全て「地形の浸食」が始まる最初の場所だったり境界だったりする場所だ。そうした場所を人為的に破壊してはいけないという先人の知恵が「鎮守」という概念には込められていたのだなあ、と、深く納得。 また「鎮守の森」という語が学会で「原語のまま、学術用語として通用している」という話も面白いですね。 -------------------------------- 宮脇氏のエッセーを読んだ後、”緑化”について少し検索していたらこんな本を発見。 「地球では1秒間にサッカー場1面分の緑が消えている」 (MAGAZINEHOUSE | BOOKSのページ) 数年前までは「1分間にテニスコート1面分」だったそうで、たった数年間で緑地の消失のスピードが相当加速している事がとても恐ろしく思えます。
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